かもねぎ先生は、名家の生まれで、先祖代々貴族の家系でした。
広大な土地を持つ地主で、地域の住民からは尊敬のまなざしで見られ・・・・・。
と書きたいところですが、実際はほぼ真逆方向のベクトルでした。
父親の最終学歴は高校中退、母親は中学卒業という逆サラブレッドの家庭に生まれる。
母『え?私中学校卒業した覚えがないけど…。』
父親は、
『何人たりとも俺の前は走らせねぇ!』をモットーに生きる1970年代の走り屋で、
レディであるべき母親は、レディースでした。
白い特攻服着てました。
コンビニで見かけた、チャンプロードにカラーで載っている人種でした。
もちろん、そんな世にも稀な低学歴同士が結婚しちゃったので、
家は貧乏で、いつもお金が原因で夫婦喧嘩してました。
父親はいつも母親に殴られ、打撲痕が出来ていました。
ある時は、結婚指輪の(安い)石の部分でメリケンサックのように殴られ、
眼瞼に裂創が出来ていたこともあります。
私のランドセルは父親の返り血でブラッディ・ランドセルになりました。
病院で縫ってもらった際、父親は『階段から落ちた』と言ったそうです。
ちなみに我が家は、ボロ一軒家だったので階段はありませんでした。
『教育?我が家は放置主義、自由放任スタイルだ!!』
と豪語するようなダメな両親でした。
どうみてもDQNです、本当にありがとうございました。
ただ1つだけ、両親から言われたことで、今でもはっきりと覚えていることがあります。
『勝負するからには勝て。勝つまで挑め。』
私が小学校3年生の時に、
『もうお前に勉強教えることが出来ないわー』と言っていた両親ですが、
この言葉は、今でも心に突き刺さっています。
#−2.青春?なにそれ美味しいの?? に続く